2009年8月30日日曜日

光と影


建築家は日々空を見上げ光の強さや優しさを研究しているだろうか?
建築家が作る影のカタチは偶然の産物ではなく、あくまでも完璧に計算し尽くしたものだろうか?

スペインの建築家アルベルト・カンポ・バエザは「光」を建築の重要な構成要素として
作品作りをしているが、光を研究し、光と対話することにより建築が崇高な生命を
宿すと語っている。

下の写真はバエザではなく、ポルトガルの建築家アルヴァロ・シザ・ヴィエイラが設計した
「セラルべシュ現代美術館」のエントランス付近の写真(時期は8月下旬)だが、
刻々と変化する影がなんとも美しい。空気と光が透明なポルトガルという国の立地性と
彼の建築作品が彫刻的というのはあるかもしれないが、この場所は幾つかの用途を持った
建物が折り重なるように配置されているので、このような表情が出来るのかもしれない。
しかし、これもシザの想定内のことであるとしたら、僕達の建築はなんの努力もしてないように
見えてしまうほど、まだまだ底が浅いということを実感させられる。
  


 
これは同じ美術館のギャラリーに通ずる入口の写真だが、
白い壁、緑の芝生、そこに鋭角に刻まれる建物のシルエット。
思わず陽の動きに見とれてしまった。

ローマのパンテオンの壁面を照らす陽の光のように崇高で感動的だ。




2009年8月24日月曜日

目黒区総合庁舎(旧千代田生命本社ビル)



先週末、所用で東京の目黒区役所を訪れたのだが、区役所は平成15年に
旧千代田生命本社ビルへ移転し、目黒総合庁舎としてオープンしている。
この建物日本の近代建築を語る上で重要な位置にある村野藤吾の作品。
素晴らしい村野作品を見るチャンスでもあり、帰阪するまでの時間
じっくりと見てみようと出掛けた。
総合受付で建物の写真を撮らせて欲しいとお願いしたのだが
さすがに多くの建築関係者が訪れるようで受付も慣れて いらっしゃる。
肖像権があるので市民が写らないよう配慮してくださいとの注意を受ける。
撮影ポイントまで教えてくださった。

この建物は文化財的な価値が尊重され移転に際しての改修においては
村野藤吾の意匠の重要な部分は当時の姿をとどめるよう配慮されている。
古い名建築がどんどん取り壊される中、この建物を総合庁舎として再生させた
目黒区の人たちは素晴らしいですね。本当に頭が下がります。

正面玄関のキャノピー。よく見ると細部までしっかりとデザインしてあります。

   
村野藤吾らしい外壁の柔らかなデザイン。茶室、和室もそのまま残してあり
市民に活用されています。

エントランスホール。左右違うデザインが施され列柱の足元は水盤になっている。
妙なお金をかけたそこらの役所の建物に比べなんと美しい空間だろうか!
衆議院選挙期日前投票の案内文字が床に貼られているのがなんとも笑えるが。。。

天井部分にはオーバル型の明り取りのが穿たれ、モザイクタイルでデザインされており
細部まで手を抜かない村野建築のデティールへのこだわりが伝わってくる。
白い天井にモザイクが貼られたドームが並ぶ。
一つ一つ異なるデザインになっており、彼の美に対する哲学というか執念というのか
圧倒されます。

  
吹き抜け部分の階段。どこから見ても美しいプロポーションです。
長い間見とれてしまって上がったり下ったり見上げたり。。。。
彼の建築は細部にいたるまでのきめ細やかなデザインや仕事ぶりが
なされており、それが村野藤吾の特色となっています。
階段の横が市民課だったりするのですが、
互いに邪魔にならないよう上手く配慮されています。
もしも東京へお出かけの際は是非一度足を運んでください。
東急東横線「中目黒駅」より5~6分くらいです。

2009年8月16日日曜日

清児


タイトルの「清児」ってなんと読むかご存知でしょうか?

せいじ?きよじ? いえいえ 「せちご」と読むのだそうです。
ここは貝塚市にある水間鉄道という私鉄の「清児駅」

この名前の由来は行基が観世音菩薩を求めて当地に巡来したとき
十六童子が現れて奉賛したところ行基が「清らかな稚児たちよ」と
褒めたたえた、その清らかな稚児が清児となったそうだ。


ご覧のように駅は無人駅で西側には集合住宅数棟が建てられた何の変哲も無い郊外駅です。

大阪府の高校生、短大生、専門学校生向けのコンペ「あすなろ夢建築コンクール」と
いうのがあるのだが、昨年の課題が駅西側にある府営団地の地域会館を
設計するというもので、学生たちと現地調査に訪れた。その際、調査地とは別にとても気になる
集落を駅の反対側に発見したのだが、そのときは時間がなく又あらためて訪ねようと
思ったまま一年近くが過ぎてしまった。

お盆休みの土曜日、堺で工事している現場の状況を確認しようと思い立ち、
その足で念願の「清児」へ 出向くことを計画したのだ。

清児駅から車も入れない幅90センチ程の地道がその集落へ続いている。
20メートル程路地のようなところを歩くと車が一台通れる程のメインストリートにぶつかる。
それが下の写真。なんと風情のある街並みなんだろう。アスファルト舗装してなければ
古い時代に迷い込んだような錯覚を覚える風景だ。

  
こんな風景があちこちに点在している。
メインストリートからちょっと路地に曲がってみると本当に狭い道が続く。
軽自動車がやっと通れる道があり、その先はもっと細い幅90センチ程の路地が
左右に折れ曲がりながら迷路のように続いている。何処へたどり着くのかわからないが
とりあえず前へ前へ進んでみる。
それにしても辺りは門構えも立派な古い大きな家ばかりだが、何故こんなに密集して
大きな家が立ち並んでいるのか不思議でしょうがない。お盆のせいか人影がなく
辺りは静まり返っている。

  
やっと一軒の家の納屋でお婆さんが仕事をされていたのでお話をきく。
ここら辺りは何か特別ないわれがありそうですねと尋ねるが「別に何にもないよ」と
素っ気ない返事。
ここらは昔から農家ばっかりでみな百姓だとおっしゃる。
それにしても門構えもりっぱで裕福そうなお宅が多いですねというと
昔は収穫した作物を中庭に広げ、そこで仕分けなどの作業をしていた名残らしい。
今ではほとんど使わなくなり植栽をして庭園風の前庭になってしまったそうだ。

  
これは推測だけど、普通農家は「散居」と言われるように家の周りに自分の農地を囲い
それぞれ分散していると思うが、このあたりでは集まって住むことで敵から身を守って
いたのではないだろうか。盗賊などが集落に入り込んでも迷路のような細い道が
直角に曲がりくねっており、馬も馬車も入れず身動きが出来ないような構造になっている。

城の構築に似ているフシがある。ちゃんと調べてみたら面白い事実がわかるかもしれない。
建築の設計の仕事をしてますと話すと、お爺さんがいる時にまた来なさいと
仰っていただいたので、あらためてお伺いしたいと思う。

少しの時間ではあったけれど、タイムマシンで旅をしている気分になってしまった。

  
手の込んだ外塀や窓周りの細工が歴史を感じさせる町並み。古いものを大事に守っている
愛情を感じる風情。右の写真の窓、外側に面格子のようなものが取り付けてあるが、
板に「千鳥模様」を打ち抜いてありしっかりしたデザインになってます。

   
塀には猫用の入口も付いてます。 右は「おくどさん」か「五右衛門風呂」の残り灰を掻き出す扉だろうか?
路地に面して取り付けてあり「火の用心」の文字がいい味だしてます。


道が狭いので曲がり角の土塀は隅切りをしてある。壁を壊さないよう
配慮してありそれぞれの趣向がこらしてある。
人々が町を心底愛してるような気持ちが伝わってくる。

久々に観光地化していない伝統的な日本の町並みを見たような気がして
心が豊かになった。探せばまだまだこんな集落が日本にはたくさんあるのだろうな。

2009年8月14日金曜日

悲しい知らせ



好きな画家が何人かいます。
熊谷守一さん、片岡球子さん、田中一村さん、そして熊田千佳慕さん。

それぞれの画家が描いた絵もとても好きなのですが、
それ以上に惚れていたのがその生き方であり人柄です。
みなさん独自の眼差しを持っていらして、個性的であり、
頑固で信念を貫いた人たちです。

生きていくことが苦しくてくじけそうな時、彼らの生き様を知るたびに
自分の思いの軽さや弱さを反省させられ、よしもう一度頑張ろうと何度も思いました。

昨日、その中のお一人「熊田千佳慕」さんが亡くなられました。享年98歳でした。
熊田さんを知ったのは10年ほど前の事でNHKの日曜美術館だったと思います。
日本の「プチファーブル」といわれライフワークの絵本「ファーブル昆虫記の虫たち」を
描きつづけられていました。

草原に腹ばいになり虫の目線になって観察されるその姿に感動したのです。
88歳になってそんなことが出来る純粋さや、虫たちを見つめる瞳が
きらきら輝いていて人にも虫にも優しい目をされているのです。
虫たちと友達でいないととうてい出来ない、本当に子供のような
純真無垢の美しい眼をされてました。

今夜はあらためて絵本「ファーブル昆虫記の虫たち」を読み直そうと思います。
本の中にちりばめられた珠玉の言葉が心に残ります。



小学館から「ファーブル昆虫記の虫たち」1~5(1巻1995円)が発売されています。


2009年8月13日木曜日

親友



昨日、サンフランシスコ在住の親友「H君」から電話があった。

彼とは学生時代を含めると38年程の長~い付き合いだ。
学生の頃、南青山の僕のアパートに転がり込んでた時期もあったけど
大学を卒業した後、1年ほどしてアメリカに単身渡って行った。
もともと英語は堪能だったけど、今思えばあの頃よく一人で行ったよな。

現在はサンフランシスコで幾つかのアパートメントのオーナーをしてて
悠々自適の独身生活を満喫してる。

彼の事を書こうと思うと付き合いが長い分、たくさんネタはあるのだけど
昨日、電話で話しててとても嬉しかったことがある。

彼は現在、金門橋(ゴールデンゲートブリッジ)を渡ったサウサリート近くの
超高級住宅地に一人で住んでいる。
敷地はサンフランシスコ湾につながるクリーク(人口湖のようなもの)に面してて、
裏庭からボートを降ろせばシスコの湾岸クルージングも出来る。

この土地、数年前彼のパートナーが亡くなって愛犬とベンツも含めて相続したんだけど
維持していくのが大変だし、一人で住むには広すぎるから近々売りに出すという。
やっぱりシスコの街中に住む方が色々都合がいいのだそうだ。
僕が遊びに行くまで売らんといてくれとずっと言い続けてたのに。

そこで昨日の電話、「僕には是非実現したい夢がある」という。
もし、サンフランシスコの気に入った場所に土地を買えたら
「YOSHIHIKO」こちらへ来て、僕の家をデザインしてくれないか?とおっしゃる!

HPでしか僕の作品見たことないだろう?
嬉しいねえ!長いこと付き合ってるけどそんなこと考えもしなかったな。
本当にそんなチャンスが巡ってきたら直ぐにでも飛んでいくよ。
君の好みは僕が一番知ってるから。。。。


フィレンツェ郊外のフィエゾーレを歩くH君。
眼下にフィレンツェの街並みが見えます。



2009年8月12日水曜日

Pizzeria Morita

       

大阪市JR福島駅に程近い通りに「ピッツェリア モリタ」はあります。
5年ほど前、事務所スタッフが建築模型の材料を探しに、
道路向かいの模型屋さんへ出掛けた際見つけた店で
それ以来ずっとお付き合いしています。


僕達は敬意を込めて「ピッツェリア モリ~タ」とイタリア風に呼んでいるのですが、
彼の作るピッツァはナポリピザでもローマピザでもありません。
しいて言えば修行してた街の「ラヴェンナピッツァ」というべきでしょうか。
でも私は今まで食べた中で彼が作るピッツァが最高!だと思います。


 
ローマの下町トラステヴェレにある「イヴォ」というピッツェリア
ここも並ぶ覚悟がないと食べれないほど有名なローマピザの店。



ナポリの老舗ピッツェリア「ミケーレ」。
ここは「マルゲリータ」と「マリナーラ」2種類のピッツァだけで
何十年も営業している地元でも超有名店で、お昼時になると
整理券をもらって並ばないと食べられないほど混雑します。
が、しかし「モリータ」の方が「ミケーレ」よりもはるかに美味しいです。
もちろん「味覚の好み」があるので他の方には違う印象かもしれません。


 
ナポリにある「ピッツァマルゲリータ」発祥の店 ブランディ


森田さんのピッツァには彼が作る生地やトマトソースのレシピ以上に
特別な美味しさの秘密があると思います。
それは彼がイタリア人にも勝るとも劣らない本当のピッツァ職人であるということです。
頑なに自分の流儀を守りぬき、自分が出来ることしかしないからだと思うのです。

予約無しでお店に来られ、満席で入れない方は一日に相当数あると思います。
電話も鳴りっぱなし。でも彼は自分のペースを変えなし、アシスタントも入れない。
客席の狭さに比べ一人で立ち振る舞うキッチンスペースがやたらに広い。

釜焼きのピッツァはほんの数分で焼きあがるため、焼き加減を見たり
釜からすばやく出し入れするスペースが必要なのです。
すべて美味しいピッツァを食べてもらいたいが為。
本当に余計な話もしないで、黙々と焼き続けています。
愛想がないと思うかもしれませんが、彼は美味しいピッツァを
来店された方すべてに食べていただきたい、ただそれだけなんです。

設計の仕事にも通じる職人気質ではないかと常々思っています。
彼の人柄に惚れている部分もあるのですが、
仕事が一息ついて少し話す時間があっても、自分から話すことはせず
こちらの話を一生懸命話を聞いています。本当に謙虚な人柄です。

今回、あえて料理の写真も店内の様子も公開しませんでした。
とにかくお店に一度行ってみてください。そうすればわかります。

メニュー以外にも好きなトッピングを組み合わせて
自分流のピッツアを頼んでみるのもいいと思います。



2009年8月7日金曜日

ご報告

東京事務所開設にあたり、お祝いをいただきました
お取引先の皆様には厚く御礼を申し上げます。
お陰様でオフィスに彩りが加わり、華やかな事務所に
なりましたことをご報告申し上げます。

東京は僕なりの感想で申し上げますと
毎日静電気が走りまくるような感覚で
何かを見る度、感じる度にビビッと
脳内に刺激が走ります。

東京は今まで数え切れないくらい出掛けていますが
これまでと自分自身の視線の先が違うというか
見るべきところが変ったのでしょうか
こんなに刺激的な街であったのかと
感動しておりますし、吸収することが
ドンドン増えていくようでこれからが楽しみです。