2010年7月31日土曜日

ちょっと忙しいです。




2週間に1度の「東野田プロジェクト」定例会議が昨日ありました。

今のところ私が担当する全体デザイン、主要な部分の意匠についての
現場打合せはまだそんなに数多くはありません。

むしろアトリエでの制作物(タイル、別注制作品等)の打合せが中心です。
ですから2週間に1度の定例会議へ行くと、施工状況が目に見えて変化するので
結構楽しいです。


現場は2階のスラブ(床)打設も終わり、柱の配筋、圧接に工程が進んでます。
もう1ヶ月もするとこの現場事務所から作業の様子は見えなくなります。
丁度お昼休み時間で作業員の皆さんは休息しています。
猛暑の中、本当にご苦労様です。
「塩キャラメル」舐めて、熱中症にならないよう気をつけてください。


午後からは「焼杉の家」の施主Kさんご家族と内装仕上げ変更の打合せです。
個室部分はクロス貼りの予定だったのですが、英国「Farrow & Boll」社のペイントを
使って自分達で仕上たいとの希望があり、その調整打合せでした。
余談ですが、翌日(今日ですが)「狭山のリノベーション住宅」の打合せがあったのですが、
奥様から子供部屋を「Farrow & Boll」の塗装仕上げにしたいとお話があって
2日連続なのでちょっとびっくりしました。
打ち合わせ中、牛窓の現場から焼杉の施工写真が送られてきました。
細かい部分はまだ残ってますが、ほぼ貼り終わりました。
建物の足元の白い部分は夕立の泥はね養生をしているのですが、
その横のブルーシートの部分が「版築」の施工場所です。
8月5日に施主さんと事務所スタッフ他で、現地へ赴き「版築」施工の
お手伝い(邪魔!?)をする予定です。


やはり焼杉はこの土地に一番馴染んでいるような気がしますが、皆さんいかかでしょうか?
北側にあるシンボルツリーの「山桜とクヌギの木」が、この建物を守るように枝を広げています。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、この建物が土地に溶け込むように、Kさんご一家もこの風景の一部となって
都会の「神戸人」から瀬戸内の穏やかな海のような「牛窓人」に変っていくのでしょうね。。。
明日は午後から、新しく始まったプロジェクト「渦森台の家」のお客様とキッチンメーカー巡りです。












2010年7月23日金曜日

異変


今年は本当に猛暑ですよね。皆様お元気でしょうか?

スタジオクランツォでは異変が起こっています。

事務所は堂島のオフィス街にあるのですが、
日当たりの良い南向きの建物の1階にあります。

今年はあまりにも地表温度が上がったのか、
アプローチのタイルが膨張して突きあがってしまいました。

目地も10mmと問題のない幅だったのですが、
そんなことはお構い無しに、ドーンとタイルが浮き上がってしまったのです。

ここで事務所を開設して6年目になりますが、こんなこと初めてです。
一日中太陽が当たっているわけではなく、高さ6メートルほどの樹木があるので
写真のように午前中は木陰も出来るのですが。。。。

この後どうなるのか観察のため、しばらくそのままにしておこうかと思ってます。

事務所に来られる方は少々歩きにくいかもしれませんがお許しを!






2010年7月20日火曜日

風景に馴染む




牛窓の「焼杉の家」では、今日「森材木店」さんから焼杉の材料が一部搬入され、
いよいよ壁の施工が始まりました。

防湿シートと焼杉の間に空気の流れを作るため、一定間隔で切り欠きをした
同縁が固定されています。

東側の主寝室北角からスタートしていきます。
現場は蝉しぐれですごいことになってます。
夏の朝は目覚ましなしでOKですね!Kさん。

焼杉の出隅は傷みやすいので、押さえ用の面木で処理しています。
横手方向は板同士が突き付けなので、目板でジョイントを塞いでいく予定です。
牛窓周辺ではこの方法がよく使われているそうで、地元の慣習に従うことにしました。

出隅の処理、大工さんも焼杉は慣れているので仕事がスムーズです。

近畿、中国地方では、岡山県と滋賀県が手焼きの杉板をよく使うそうです。
そういえばスタッフのTさんのお父さんも、滋賀県で大工の棟梁をなさってますが
焼杉はよく使うと言われているそうです。

不思議なもので、岡山県では海岸近くは焼杉をよく使うそうですが、
内陸部ではあまり使わないそうです。やはり塩害を考えてのことでしょうか。

先日大阪から電車で牛窓へ向かったのですが、1つとても気になることがありました。
それはどんなに周辺に田や畑、林、森などがあっても、住宅はハウスメーカーの
建物が多くて、残念ながら素のままというか、その土地らしさを感じませんでした。

ハウスメーカーの商品が悪いと言うのではないのですが、大都市も自然が豊かな
土地も同じ住いのデザインであることに違和感を覚えます。
もっとその土地固有の風景があっていいのではないでしょうか。











2010年7月19日月曜日

男の手料理




日曜日、久しぶりに友人が自宅に来ることなっていた。
たまたま、お肉をいただいていたこともあり、
たまには手料理をご馳走するのもいいかなと思った。
でも、料理はめったに作らないので(年1~2回!?)、
あまり自信はないけど、まあ、とにかくおもてなしの気持ちということで。。。

献立を色々思案したのだが、ここはレパートリーの数は少ないが、慣れているの
イタリアンで勝負するしかないかなということで落ち着いた。


前菜は夏だし、ちょっとトロピカルな雰囲気で、
「帆立貝のミルフィーユ仕立てオリエンタル風」という名前にしてみました。
名前だけはレストランのようだけど。。。

ホタテを軽く炙って2枚にスライスしオリーブオイルでマリネしたあと、
イタリアの生ハムと熟したマンゴーのスライスを間に挟んでみました。
オレンジを絞り水分を飛ばした後に、マンゴーの果肉を裏ごししたものを加え
ドレッシングのようにかけて、レッドペッパーを散らしてます。
うっかり中央の1コを写真の前につまみ食いしてしまった!

盛り付け皿も以前、バリ島で買ったガラスの皿で雰囲気を出してみました。

それから、「夏野菜のリゾット」。
イタリア産のお米は、やはりリゾットにすると味が格段に美味しくなる。
お皿はラ・メゾン・ブランシュの加藤シェフからいただいたもの。
さすがプロが使う料理皿は素人料理でも美味しく見えます。


メインは牛肉とスペイン産生ハム、セージを使った
「サルティンボッカ地中海風」です。

サルティンボッカはすばやく口に入れられるほど簡単な料理の
意味らしいですが、肉と生ハム、セージというハーブを使うのが基本です

今回はスペインの生ハム「ハモンセラーノ」と、南イタリアのトマトソース、
モッツァレラチーズを使ったので地中海風という名前にしました。
名前だけはたいそうやな。ホンマに!と友人。

さすがにデザートまでは体力的に無理だったのでやめましたが。

自宅に長い間寝ていた「キャンティクラシコ」
その前にフランスワインを開けてみたのですが、
ほったらかしで、ワインビネガーになってました。
 
男の料理はお金と時間がかかるとよく言われますが、
時と場合によって(勝負料理!?)そうかもしれませんが、
手持ちの食材使って、それらしく見せるのも男の料理ではないかと
思います。
またいつか(一年後?)作ることを約束してお開きにしましたが、
翌日、「凄く美味しかった」とのメールをいただき、ほっとしているところです。



2010年7月16日金曜日

工程報告




本日は「東野田プロジェクト」の定例会議です・
現場にはタワークレーンがポツンと建っています。

これから先工事が進むと、このクレーンがあっという間に見えなくなります。
あと2回ほどクレーンの支柱を継ぎ足すことになるでしょうか。

現場は1階土間コンクリートの打設が終わり、柱の配筋に移ろうとしています。
足元が安定してきました。雨天の日が多かったので現場は大変だったと思います。

 
2週間前の現場、基礎配筋だらけでしたが、土間が打ち終わったのでスッキリしてきました。
 
この建物は日本の古くからある集落や田畑をモチーフにしています。
土壁、農耕具の鉄、土間、行灯の明かり、鎮守の森、田畑のパッチワーク模様などを
イメージデザインに使っていますが、クライアントの許可をいただかないと公表できません。
近いうちに承認をいただいて、コンセプトやパースなどを掲載したいと思います。
牛窓の「焼杉の家」はこれから仕上げ工事に入って行きます。
狭山の住宅は工務店に見積依頼をする図面類の最終調整に入ってます。
フレンチレストランの改修はガラスモザイクタイルをヴェネチアへ発注しました。
1ヵ月後にモザイクタイルがイタリアから空輸されてきます。
数日前、狭山のお客様が雨の中、かわいいお嬢さんお二人とご一緒に
事務所いらっしゃいました。
ご主人と奥様がお越しになられるかと思っていたのですが、
大雨で幼稚園が休校になったそうで一緒に来て下さいました。
打ち合わせの間、事務所で宿題を一生懸命なさってましたが、
その姿がとても愛らしくて素敵でした。








2010年7月15日木曜日

羽化


朝、事務所へ出勤して打合せテーブルを拭こうとして
大窓の近くへ寄ってみると、何かいつも見かけない物体が
ガラス枠と、タイルの間にへばり付いていた。

何だろうと近づいてみると、クマゼミが羽化していました。
よりによってこんなところで。
反対側には隠れ場所に最適な大きなナナミノ木があるのに。

鳥に見つかったら一巻の終わりだぞ!
といっても僕ら人間に見つかっちゃったけど。

羽化したばかりで、羽の色も美しいライトグリーンです。
じっとカメラを構えていたら、なんとなく嫌そうに少し移動した。

脱皮する時間、読み違えたのかな?もう少し早い時間だったら
空蝉だけがあるだけで、事務所の誰も気付かなかったのに。

毎年すごい数の抜け殻があるから、こんなシーン見れそうなものだけど
目の前で脱皮するのは初めてです。右側の写真は昨年の抜け殻。


ナナミノ木にはたくさん卵を産みつけた跡があるので、毎年蝉が生まれてきます。


事務所は丁度、学生達のインターンシップの時期です。
初めて設計事務所に来た学生もいます。
これからローテーションで何人かの学生が経験を積みに来ます。

なんでも訪問する前日、当事務所のHPを初めてチェックして急に緊張が高まったようで、
一睡も出来ずに初日を迎えた学生もいます。
なんだかとても純粋で、穢れがないのでしょうね。

これから身を委ねようと考えている業界の厳しさや面白さ、先輩達の仕事ぶりを見ながら、
今日の蝉のように美しく変身して、社会に大きく羽ばたいてくれることを期待してマス。













2010年7月11日日曜日

ダ・ウーゴ




都島本通りに所用があったので、久しぶりに近くにある
イタリア家庭料理の店「ダ・ウーゴ」を覗いてみた。

この2~3年お邪魔していなかったのだが、店主の清水さんには
色々とお世話になった。かれこれ15年程の付き合いになるだろうか。

スタジオクランツォ「堂島スタジオ」オープニングパーティーの料理は
彼に用意してもらったし、住宅、店舗系の竣工写真の撮影は
紹介してもらった建築写真家の福澤君にずっとお願いしてるし。。。
料理業界の裏話など貴重な情報を提供していただいてる。

5月の終わりに開店9周年の案内をいただいていたのだが
この店もオープンしてそんなに経つんだな。どおりで随分と味が出てきた。
都島の交差点から1本東に入った小さな通りにあるのだが
まったく変らない佇まい。
イタリアの庶民の味を食べたくなったらこの店に伺う事が多かった。
最近は何かと忙しくて都島まで足を伸ばせずにいた。
トリッパ(牛の胃袋のトマト煮込み)を食べながら、
彼のイタリア料理と僕の店舗デザインのコラボ話など、いつ実現するかも
わからない話に時間を忘れて話し込んでました。
本当に久しぶりだったのに、先週も食べに来たかのような間合いで
話がはずんだ。
お互いの近況報告をしなくても顔を見れば
それぞれの歩んできた道がわかるのかも知れない。
カウンターに座って厨房の排気ファンを見た時思わずハッとした。
火元上の排気フードが驚くほどピカピカなのだ。
9年間、毎日油煙を吸い上げているはずなのに、油汚れがまったくない。
火口前の白いタイルも本当に綺麗なまま。
店を手伝う若い男の子が毎日、一生懸命磨いているのだ。
そんな指導をしている清水さんの料理に対する姿勢に最敬礼をしてしまった。
この子も必ずいい料理人に育って行くだろうなと実感した。
そして自分はスタッフを一人前の専門家に本当に育てているのだろうかと
反省した夜でもあった。

2010年7月9日金曜日

製品検査



本日、焼杉の製品チェックと版築の試作立会いに「牛窓」へ出掛けました。

今回は車を使わず、JRで向かったのですが、
新大阪7時49分の新快速で姫路まで行き、そこから赤穂線に乗り換え、
播州赤穂駅でもう一度「新見」行きに乗り換えます。
約2時間30分程で最寄りの邑久(おく)駅に到着。

そこから現場までは車で15分ほどかかりますが、
元浜組の小橋さんに迎えに来ていただきました。

途中駅のプラットホーム横に小さな栗の実を見つけました。
知らぬ間に季節は時を刻んでいるのですね。
JRの時刻表、昼間は1時間に1本から2本程各駅停車の電車が走っています。

のどかな田園風景が広がり、ちょっとした読書タイムでした。
因みに読んでいたのは、益子義弘氏の「建築への思索ー場所を紡ぐ」
だったのですが、本の内容と風景がとてもマッチしてよく頭に入りました。



森材木店の森社長、人柄を思わせるいい笑顔です。
焼杉も枚数が多いので、暇をみては焼いていただいてます。
まだ、施主のKさんや私達も焼くところは見ていないので
見学用に一部残してあります。

焼杉は一人で焼いているそうですが、市中に出回っているバーナー焼の焼板から
やはり、本焼の方がいいという施主や設計者が増えて、最近は遠方からの依頼も
多いそうです。
先日のブログに掲載した手塚さんの「牛窓のアトリエ」の焼杉も森さんが焼いたそうです。

 
これが正真正銘の手焼の焼杉です。小口まで焼けていますが、
炭化しているのは表面の5ミリ程です。
焼き加減は森さんのお父さんから受け継いでいるそうですが、本当に美しい墨色です。
 
今回は焼杉の上から幅45ミリ程の目板という木で目地を押えるのですが
その目板も1枚ずつ焼いてもらってます。
さすがに幅が狭いので小口までは火入れが出来ないそうで、
そこだけはバーナーで処理するそうです。
節があるとそこで反るので、すべて無節の板を使うとのこと。
この場所で3枚づつ焼いていくのですが、その工程はまたあらためて報告します。
重ねられた焼杉の上に1枚だけ反りあがったものがありますが、
上に重ねていくと元に戻るそうです。
建物が多くの人の手を経て仕上がっていくことを実感します。
そして、色々な方がこの建物が出来上がるのを楽しみにされています。
現場へ行くと、まだまだウグイスの鳴き声や、前島行きのフリーの汽笛が
森の中から聞こえてきます。
ツバメも数多く飛び回っています。
敷地横のオリーブ畑の実が少し膨らんできたようです。









2010年7月6日火曜日

余韻



土曜日の夜、「嘉瑞病」に侵され禁断症状が激しい4人がとうとう、
東京上野毛にある「嘉瑞病院」で手当てを受けることになった。

1ヶ月ほど前に予約して、おいしい薬をいただける日は、まだか、まだかと
のた打ち回りながら、悶絶の日々を送っていたのだが、やっとその日が来た。

学生時代を過ごした自由が丘駅前で待ち合わせ。
お客様であるM社長ご夫妻と私と相方の重症患者4名だ。

鮨の名店「あら輝」が銀座に移転された後のこの店、師匠からお声がかかり
大阪の店をたたみ、相当な覚悟の上であとを引継ぎ店を始められた

暖簾も看板もない外観。小さく「鮨 嘉瑞」と書かれた行灯がポツリと
店先に置いてあるだけで、通りすがりの人が気軽に入れるような
構えではない。
表札もあるにはあるのだが、白木の一枚板に嘉瑞と彫ってはあるが、
10センチ程の至近距離でないと確認出来ません!

「今晩は!」と声をかけ中へ入ると、おお!すでに治療を受けている患者さんが
8人程いらっしゃる。皆さんなんだか嬉しそうな、楽しそうな顔ですよ。
薬がきいてるんだな。

院長先生曰く、うちの患者さんは9割が関西人で、本日も東京の鮨店なのに
関西人に連れてこられた東京の方がお二人。それ以外は全部関西人だそうです。
老松町のお店でお見かけしたこともあるような、ないようなお顔の方もいらっしゃる。

定例食事会をお願いしている「KOさん」も、何度も治療に来られているらしい。

関東ではなかなか築地に上がらない「アラ」のお造り。
クエとはまったく違う高級魚だが、脂の乗りが半端ではない。
最後にもう一度、炙りで出してもらったのだがこれは凄かった!

新子のにぎり、院長先生が仕事をしっかりされた新子やこはだは絶品です。
大好きな一品です。

飾り包丁が美しい「漬け」たまらんなあ!

結局、なんだかんだ言いながら、院長先生に気合の入った治療をしていただいたお陰で
禁断症状も癒え、身も心もすっかり元気を取り戻しました。
ありがとうございました。

ただ、ただ、残念なのはお薬がもらえないことなんです。
でも、お薬の替わりに「いつまでも続く余韻」をいただけるんです。

本当に美味しいものには「余韻」があるんです。
翌日も、その次の日までも、その後も。。。
そして「心許せる友人たちと過ごす至福の時間」が、それを増幅させてくれるのです。

禁断症状のサイクルはどんどん短くなって行くのかも知れませんが、
そんな熱病にうなされた患者さんたちが、上野毛詣でを繰り返しているのです。

院長先生である堀内さんの鮨に対する「思い」や「こだわり」が、近いうちに地元の
患者さんを増やしていくのは間違いないと思いますが、
僕らの事も忘れんといてください。
多分、すぐに我慢できない禁断症状が出ると思います。

僕達が診察を受けた翌日、別の友人たちが訪れたそうです。

みんな好きやなあ!





2010年7月2日金曜日

東野田プロジェクト



本日は2週間に1度の集合住宅(東野田プロジェクト)定例会議 です。

前回の会議時は地中梁の配筋が終わり、検査待ちの状態でした。
2週間も経つとコンクリートの打設も終わり、埋め戻し作業が進んでいます。
埋め戻しが終わると、土間配筋が始まります。
やっと工事が地上に進んできました。でもまだ全体工程の20パーセント程度です。

会議の内容も細かい話になって来ましたので、時間がかかります。

左の写真は2週間前の現場、右は本日の現場の様子。


         

監理担当の小浦君がスタッフブログに現場の細かい様子を書いてくれてます。

この建物を完成させるまでに、どれだけの職種と職人さんが関わるのでしょうか。

職人さんたちと話していると、ほとんどの人が完成された建物を見ることがないと言います。

近くに仕事が出来て通ってくれば別ですが、建設業は分業化されているため、

自分が関わる仕事が済めば、この現場は終わりなのです。

そんなこともあって、昨年完成したRC3階建てのフランス料理店では、

シェフが末端で働く職人さんたちを完成したお店にどうしても招待して、

自分の料理を食べてもらうんだとお披露目会をしました。

全員は無理でしたが、多くの方が集まってくれました。

本格的なフランス料理のフルコースを食べたことがなかった職人さんもいて、

今まで食べたことのない味に、美味しくて美味しくてとても感動してました。

料理人も職人、一番しんどい事をしている人たちこそ自分の精一杯のおもてなしを

したかったようです。

また工事中、寒い時期でしたので、お昼時に温かい味噌汁やスープをせっせと運んで

振る舞っておられたようです。

よい仕事をしてもらうためには、あらゆる人と熱い人間関係や絆が必要ですよね。

ワールドカップの日本チームのように!

2010年7月1日木曜日

鬼ノ城と版築




6月29日 「焼杉の家」で版築の施工をお願いする
左官屋さんと打合せのため、岡山県瀬戸内市牛窓へ向かった。

現場へ到着すると、工事担当の元浜組小橋さんと施工をしていただく
左官屋の親父さん(70歳くらいでしょうか)と職人さん(60歳前後かな)が
待っていて下さいました。

版築は久しぶりだということで、岡山県総社市にある鬼ノ城(きのじょう)まで
参考に版築を見に出掛けて下さってました。

ここはこの地方に残る「桃太郎話」のモチーフになったといわれる伝説の城だ。
「温羅伝説」というらしい。
この話をしだすと、また本題から外れて長々の文章になるため次の機会に。

さて、この城は山城であるため石垣と土塁(版築)で出来ている。
どちらかと言えば、少しずつ色々なものを混ぜながら突き固めて壁面を
デザインするなんて柔なものではなく、城を築くための土木工事としての版築だ。


                          写真提供 元浜組 小橋さん

だから、しっかりと突き固めてある。ところどころ石も組み合わせて強固にしてある。
材料は城の傍の土取り場から運んだらしい。
現在のこの土塁は総社市の教育委員会が中心になって、城の整備共々再建を進めているそうです。
土の色からすると山砂が主体で、それに石灰と塩分を混ぜているのだろうか。
「焼杉の家」では周辺が粘土質の赤土であるため、それだけを使うと粘りが強すぎて
さらっとした感じがでないのではないかと、親父さんはおっしゃる。
真砂土を混ぜた方がいいのではないかということで、石灰や苦汁の混合比率を変えながら
サンプルを作って貰う事にした。
牛窓は古くから塩作りが盛んで、近くには塩田跡が残ってる。
苦汁は高価なので塩ではだめかと言われるが、水分が抜けた後、表面に塩が吹いてくるのは
困るなあと思いながら、塩田があったのだから、苦汁くらい何とかなりませんかねえ。
岩塩を混ぜるところもあるらしい。
ブータンや中国内陸部なんか海の塩なんか取れないから、岩塩使ったのかも知れないあ。
版築に少し混ぜ物をしたいので、赤土を篩いにかけ残ったダマや小石を所々混ぜたり、
藁を小さく切って混ぜることもしてみたいとお願いした。
親父さんから「弁柄」混ぜたらどうかなと提案もあった。
弁柄は酸化第二鉄だから、色粉として使うのはいいかもしれないけど
あまり入れすぎると版築の強度が落ちるかもしれないので、ちょっとだけにしましょうなど、
大の大人4人で子供の土遊びの様相になってきたぞ!
でも京都嵯峨野の「落柿舎」を彩っていた「鉄粉入りのじゅらく壁」が妙に心に残っていて
何かそんな表情が出る仕上げも間に挟んでみたい。
一つだけどうしてもお願いしたことがあった。
それは施主のお母様から、石灰の代わりに「貝灰」を使ってもらえないかと言われていること。
この辺り牡蠣の養殖も盛んで、牡蠣の殻がたくさん出るはずなんですが、
どこかで加工していないもんなんでしょうか?
小橋さんより、なんとか検討してみますとの返事をいただいたのだが。

打合せが終わると、いつもバタバタと大阪へ帰ってしまうのだが、
現場から歩いても行けるところに手塚貴晴、由比さん設計の
「牛窓のアトリエ」がある。
ちょっと見学させていただこうと思い、立ち寄らせていただいたのだが
残念ながらお留守で、遠目に外観の写真を撮らせていただいた。
外壁は手焼きの焼杉です。
また石井和絃さん設計の牛窓「交流ヴィラ」も道沿いにあります。
ちなみに施工は「焼杉の家」の施工をお願いしている元浜組さんです。

「牛窓のアトリエ」

瀬戸内海が一望できるすばらしい立地に、他を寄せ付けないような強さで建ってます。