2011年8月31日水曜日

ギンヤンマ



昨日は記憶の家の現場「たつの市」へ地縄張りの立会いのため出かけていました。
建物を建てる前に、まず南側の境界に意匠となる蛇籠とコールテン鋼の塀を作ります。

コールテン鋼は各部屋の中心になるように配置するのですが、鋼材には地窓のように
開口部を作ってあるため、その位置がとても重要になります。
そのためデザインした本人が立ち会って配置の確認をしたかったのです。
しかし、現場は日差しが強くて午前中しか居なかったのですが、あっという間に日焼けしてしまいました。
両手と顔は真っ赤です。

実をいうとカメラを持って行くのを忘れてしまって、現場の写真はありません。
焼けてしまった僕の顔写真も残念ながらありません。
施工会社の担当者はちゃんと撮影してくれたのですが、ブログには間に合いませんでした。

まわりは畑と田んぼなので何も遮るものがありません。
気持ち良さそうにたくさんのとんぼ「アキアカネ」が敷地を飛び回っていました。

今朝、事務所の庭の隅っこに一匹のトンボらしきものがじっと動かないでいました。
何やらあまり見かけない種類みたいだぞ。

その羽を休めている姿勢がとても様になってて、
まるで空港の駐機場に待機している飛行機のようでした。

そっと近づいてズームでパチリ。うん!?動かない!もうちょっと近づいてみよう!

おおっ!これは「ギンヤンマ」じゃないか 。でも動かないぞ!
でもこんなに近くで見ても逃げない!トンボの中ではギンヤンマが一番カッコイイ。
じっと観察してみるとなんとなく足が伸びてない。それに体のハリや艶がないぞ。
でもなにか蜘蛛みたいなものを食べてるようにも見える。

慌てて男性スタッフ達を庭に呼んだら、その中の一人「K君」が「あっ!それ、朝庭掃除をしてたら
芝生の中にそのままの状態で死んでたので、面白いからタイルの上にそっと置いときました。」と。。。

う~ん上手く騙された!でも本当に美しい姿形でした。
 
そういえば先日の夕刻、庭にイタチ君が忽然と現れました。
前に一度通りを横切るの見たことがあるけれど、堂々と事務所の庭を走りまわって
いずこかへ消えていきましたが、キジバトの巣を襲ったのもイタチの仕業だな!



2011年8月29日月曜日

 京都 緒方



夏の間、スタッフ不足で一日も休めず仕事をしていて、相当疲れが溜まってました。

先日も打合せで「ラメゾンブランシュ」へ出かけたら、スタッフの女性から「ふた廻りくらい細くなった」と
真顔で言われちょっとショックでした。確かにお腹は凹みましたが、全体に痩せたと思います。

心配した友人や「KOさん」がささやかな慰労会を昨晩、京都 烏丸にある「緒方」で行ってくれました。

昨年暮から「KOさん」からはこの「緒方」や「祇園 丸山」などに誘っていただいたのですが、
とてもいける状況ではなく、ずっとのびのびになってました。

KOさんも「手足口病」が完治したばかりで、あまり体調は万全ではなかったようですが、
無理して来てくださいました。

「緒方」はご存知のように、室町和久傳の料理長をされてた「緒方俊郎」さんが独立されて出されたお店。
すぐにフランスの赤本で星2つを獲得され、新進気鋭の京都を代表する料理店の一つです。

お店は四条烏丸から少し西に歩いて、細い路地を南に下った目立たないところにありますが、
予約を取るのは中々大変だそうです。10月になると丹波産の松茸を料理に使うので、
もうほとんど予約でいっぱいのようです。

緒方さんは10月は赤字になるけれど、京料理人の意地で丹波産に拘ってるそうで、それを知っている
常連さんがこぞって予約をするために、あっという間に満席になるそうです。

昨夜食べたもので印象に残った品をいくつか紹介します。

鱧を餅で包んで焼いて、椀仕立てにしたもの。

スダチの香りと上品な鱧と汁が豊かな気分にさせてくれます

天草産のウニ。ムラサキウニです。
叔母が天草の牛深市に住んでいたので父がこのウニをいつも送ってもらってました。
漁師さんに頼んでウニ捕りの船を出してもらい、獲れたものを塩で〆てすぐに送ってもらいます。

子供は食べたらダメだと言われながら、こっそり熱々のご飯に乗せて食べてました。
本当に美味しいですよ。


夏鴨を北京ダック風に湯葉、味噌と白髪ネギで食べる一品。

スッポンの卵と煮こごり、女性が好きそうな品ですよね!




この日一番美味しかった琵琶湖産の鰻の炭火焼。

皮のパリパリ感が最高に美味しかったですね。今までにない鰻でした。


〆のいくらご飯。添えられてた昆布(だと思いますが)の煮かたが素晴らしく美味しかった。


最後に和久傳の「西湖」のような デザートが出た。


大きな蓮の葉に乗せられ、黒蜜をかけられた蓮根。

蓮の葉の緑との対比が美しい。竹の箸も風情があります。

いつもデザートを食べないKOさんが、この日は珍しく食べてらっしゃいました。

デザート食べるの初めてみたような気がします。


KOさんに持ってきていただいた、シャンパーニュ、ブルゴーニュの白、コートドールの赤を

気持ちよく、いつも以上に飲んでしまい(各グラス2杯づつ)、帰り道ちょっと足元がふらついておりました。

でも足元がふらつくほど飲めるようになったということですよね。

頭痛くならなかったんですから。帰りの電車は熟睡してしまいましたが。。。。


みなさん気を使っていただいてありがとうございます。少し元気が出てきました。






2011年8月27日土曜日

子供の心と建築 1




地下鉄御堂筋線の吊広告で下の写真の絵がレイアウトされた展覧会の告知が気になっていた。

心斎橋にある「大阪市近代美術館(仮称)心斎橋展示室」で開かれている
夏休み・みんなで楽しむ展覧会
「いつの人? どこの人?どんな人?」だ。

いつもの事ながら僕の早とちりで、子供の描いた作品の展覧会だと勘違いしてしまった。
パンフレットによれば
「子供向けの展覧会ではなく、子供達こそ作品鑑賞の達人=アートナビゲーターととらえ、〝おとな〝が
子供と一緒に楽しむ展覧会」とある。その展覧会に行ってみたら。。。う~んまったくの勘違い!でした。

実をいうと子供の描いた絵が大好きで、この歳になってもまだ子供みたいな絵を描きたいと願っている。
心の核心は子供でいたいとも思っている。

「子供みたいな絵」ってなんだ?と思うかもしれないが、誰が見てもきれいとか構図がすばらしいとか
モチーフを的確に表現しているとか。。。。そういう絵でない絵。
出来れば意図を持たないイタズラ画みたいな。。。口で言うのは難しい。
熊谷守一さんや片岡球子さんの「ゲテモノと紙一重の絵のような」というべきか。。。

利き腕で筆を持つと意識的にきれいに描こうとか、上手く表現しようとか、
誰かに上手いねと褒められたいとか、そんな意識が先にたって小手先でこねくり回したような絵になる。

純粋に心で感じたものを絵の具やクレパスで描きたいと思って、それで利き腕でない反対の手を使って
描いてた時期がある。
頭で考えた絵を「意識と直結しにくい利き腕でない方の手」で描いたら、思うように描けないからきっと
楽しい絵になるのではないかと。。。結果はそれなりに楽しい絵やイラストになった。
でも使い方に慣れたらきっと利き腕とおんなじような絵になるだろうね。

幼稚園の頃、「りんご」を描こうというお絵かきの時間があった。
僕は「黒い色で四角いりんご」をクレヨンで描いた。
その時、モチーフのりんごはそのように見えたから。
でも大人たちはりんごは赤くて丸いでしょう?と誰もが注意した。

「心で見て感じたもの」が常識や現実と食い違うと否定されてしまう。
でも僕には「黒くて四角に見えた」  そのことが大人になった今でもずっと引っかかっていて、
子供達はどのような絵を描いてるのだろうと興味津々なんです。

上の写真の絵、どんな人が描いたと思いますか?   
「今井俊満」という画家が死ぬ間際の72歳(2001年)の時に描いた「パラパラ」という作品です。
渋谷の「コギャル」がモデルだそうです。
なんとエネルギッシュで純粋で素敵なんだろうと思います。

版画家の棟方志功は尊敬するふるさとの寺の老住職から、
「おまえの絵はヘタだ!わしの孫の絵よりヘタクソだ!」と言われ、嬉しくて嬉しくて涙を流したと聞きます。
無垢な子供よりももっと邪気のない純粋な心が伝わったのだと感じたようです。

建築もある意味、心をピュアにして考えないと色々なモノに負けてしまいます。
何事にも抵抗して踏ん張る必要はないのかもしれないけれど、
心と瞳だけはいくつになってもキラキラと輝いていたいと思います。

そして建築に純粋でありたいと思います。


2011年8月24日水曜日

遅いランチ



お昼過ぎ、お客様がお見えになることになっていたため、昼食を食べる時間が取れなくて、
打合せ終了後、ハービスプラザの地下にある「ブランジェリー ブルディガラ」の
サンドイッチを買いに走った。

このお店、事務所から国道2号線を渡ってすぐのところにあり、
スタッフのおやつを買ったり重宝してます。

僕はここのサンドイッチが好きで、特にゴルゴンゾーラチーズを挟んだのと、写真の下に写ってる
アボガドと生ハム入りの「ニース」と言う名前のサンドがお気に入り。

残念ながら「ゴルゴンゾーラ」は売り切れでした。(あまり数を多く作ってないらしい)
いつも美味しいから、もっとたくさん作ってと言ってるのですが。。。。。
仕方なく、クルミとレーズンのパンにブリードモーチーズと生ハムを挟んだものを買いました。
これも「3番目」に好きなサンドですが。

事務所に戻り椅子に腰を下ろして、サンドイッチを食べながら、
先程まで説明していたプロジェクトの模型を何気なく見つめていた。



黒い御影石のテーブルはまるで鏡面のように滑らかでシンメトリーにその模型を映している。
自分で言うのもどうかなと思うが、まるで静かな水辺に佇む建物のように美しい。

残念ながら、コンペ作品なのでこの場で公表は出来ない。お施主様にはそれなりの
インパクトがあったのではないでしょうか。  いや無かったかな?
でも何か達成感みたいな気持ちの高揚もあり、心地よい時間だ。
しかし、まだ今月中にプランをプレゼンしなければならないものもあり気が抜けない。
サンドイッチ食べたらもう少し頑張ろう。






2011年8月21日日曜日

蕎麦切り masa  正



日曜のお昼時、このところちゃんとした蕎麦も食べてないなあと思いながら
やり残した仕事を片付けるのに事務所に向かった。

いつもなら阪神百貨店でお弁当を買ったりするのだが、
今日はとにかく美味しい蕎麦を食べようと決めた。

何処がいいか考えてみたら、去年の暮 新地「カハラ」の森さんから
よかったら行ってみてと渡された 「蕎麦切り masa」さんの名刺を思い出した。
ずっと行こうと思いながら、なかなか行けず終いで気になっていた。

そして、友人である「I 君」が偶然にもこの店の開店第一号のお客さんで
時々食べに行っていることもわかってたのでちょっと寄ってみることにしました。

場所は靭公園近く、「ブランジェリータケウチ」のすぐ横手にある。
古い民家を改装した店内は天7の「たかま」と谷6の「文目堂」を足して2で割ったような雰囲気。

僕はお店で一人で食事するのが苦手で、行けるのは中華料理屋、ラーメン屋、うどん屋、
蕎麦屋(街中にある丼もメニューにあるような)くらい。一人でいるのはなんだか落ち着かない。
いつもならスタッフや友人を誘うのだが、今日は日曜日、みんな忙しい。。。。
実はメチャクチャな寂しがり屋なんですよ。
まあ「I 君」が店の常連なら何とかなるやろと暖簾をくぐった。

お店の女将さん(古い言い方で済みません。まだお若い方です。)に「I 君」の事を話すと
すぐに判って頂いてちょっとほっとしました。
少し話してみると、僕の事も「I 君」から聞いたことがあると言われ少しばかり嬉しくなった。

蕎麦屋の酒の肴で一品頼みたいのは幾つかあるのだが、今日はこれから仕事、
アルコールを飲むわけにもいかない。「出し巻き、そばがき」は夜だけだそうで
にしんの甘露煮を注文した。

なんかお酒飲みたい雰囲気(お隣の方は冷酒飲んでます)なんですが我慢して
一人甘露煮をつまんでおりました。新地の「とき」の甘露煮に近い味ですね。
こちらは少し大ぶりですが、美味しいです。

黒蕎麦を注文しましたが、香りが高くのど越しもよくて美味です。

そばつゆもバランスがとれてて「丁度いい」です。
蕎麦湯は好きな濃い目です。残しておいた山葵を落とし半分いただき、
その後、添えられてた七味を少し振り飲んでみましたが、
風味もあり、なかなかいいものです。

蕎麦湯の入った器がいいですね!立ち姿がとてもいい感じです。
根来塗りなんでしょうか?お店の方が忙しそうでしたので聞き忘れましたが。。

今度は「I 君」と夜に来ますねと伝えお店を後にしたが、次回は冷酒と肴を色々試してみたい
それから温かい蕎麦で岩のりが入ったものがあるようでしたが、ちょっと気になります。

スタッフ「K君」のお父さんの会社、すぐ近くだけどみなさん行ってらっしゃるのかな?




2011年8月20日土曜日

頭が痛い!





以前からずっと頭が痛いのが写真のポジフィルム保管。

デジタルカメラに買い換えるまで、海外の写真はすべて一眼レフカメラでポジ撮影していた。
ポジフィルムはスライド映写などに使うが、ネガのように画像が反転していない。
撮影したままの美しい画像を見ることが出来る。

ここに保管してあるのは36枚撮りのフィルムを、手垢がつかないよう手袋をし、
ハサミで1枚ずつカットして、マウントと呼ばれるプラスチックのケースに1枚ずつ収めたもの。
ざっとこれだけで2500枚ほどある。
これ以外に未整理のフィルムが1000~1500カットあり、まだ手がつけられない状態で
置いてある。
ある意味僕の大切な宝物なのですが、デジタル時代にあっては無用の長物になってしまった感がある。

このまま置いておくと、熱や紫外線で劣化してしまうため何とかしようと思うのだが、
フィルムをデジタル化しようと、卒倒するほど費用がかかるため非常に躊躇しています。

スキャナーで読み込む方法もあるのだが、出来るだけ美しく画像精度を残したいので
自分でスキャンはしたくないなあと思案してしまう。

ポジフィルムはデジタル画像にはない色気というか、艶があるんですよね。
フィルムもフジ(原色が鮮やか)とコダック(赤系の発色がいい)を使い分けて撮影していて
たまにスライド映写機で壁に映したりするんですが、すべてに思い出があり、懐かしく
心地よい気分にしてくれます。
特にアジアのリゾートホテルの写真なんか何とも言えない情緒があります。

でも映せば映すほど劣化していく。。。。う~ん頭が痛い!



2011年8月16日火曜日

お地蔵さん




お盆休みも今日で終わり。
この休みの間に片付けたい仕事のうち、やっとプレゼン用の模型制作のメドがつき、
何とか昼ごはんにありつけそう。

お昼時、いつも食べに行く「ZEN」は今日までお休み。
仕方なく近所をうろうろしながら開いている店を探してた。

近所にあるシティホテルの路地を入ったところにかわいらしいものを見つけた。

この通りはあんまり通らないので、気づかなかったのだが
小さなお地蔵さんが祀られているのを発見した。


ブリーゼタワーが目の前にドーンと迫る堂島の路地
ここを入ったところに本当に目立たないように祀られています。

ビルとビルの隙間、すぐ横には電柱が被さるように立ってるし、
お地蔵さんの上には配管やガラリなど色々なものが飛び出していますが、
幅45センチ程のステンレスの祠が、上手くカバーしてくれて雨もあたらず
何だかホッとしたお顔をされている。

いつも誰かがお参りしてくださっているようで、お花や供え物も新しい。


いつの頃からあるのだろうか、このすぐ南側には大阪で1、2を争うほど古い

堂島小学校があった(今は廃校になり去年取り壊されてしまった)森繁久弥さんも通ってたらしい。

昔は近所の子供達を集めて地蔵盆なんかが行われていたのだろう。


そういえばこの辺りに住んでいるお子様を見た記憶がない!

古い住宅は何軒かあるが、子供が路地で遊んでる姿を見たことがありません。


みんな何処へ行ってしまったのだろう。



お地蔵さんがちょっと寂しそう。




2011年8月14日日曜日

牛乳石鹸



ここ一週間程ブログを書いていなかった。

お盆休暇で別にサボっていたわけではない。それどころかお盆休みもない!

このところ、ずっと引きこもるように事務所で図面を描いたり模型を作ったりで
書こうと思うタイムリーなネタもなかった。

今日(14日)は「三世代家族の家」いや「四世代家族の家」のMさんご家族と
工事中の建物の構造軸組みを確認していただく約束になっていたので、
神戸市北区へ出かけた。
建築地は有馬温泉近くの高台で周辺に緑も多いし、かなり気持ちのよい風が
建物を抜けていく。夏でもエアコン無しでいけそうだ。

ただ、行き帰りの行程は日陰も少なくたっぷりと汗をかく。
事務所に戻る頃には汗を出し切って体中ベトベト状態になる。

こんな日は早く家に帰ってシャワーを浴びスッキリ、サッパリしたい。
でもなんとなく、液体ボディーシャンプーや外国製の高価な「しゃぼん」で体を洗うよりも
写真の「牛乳石鹸」を使いたい気分。
なんだかサラッとしてて、気持ち良さそうと思ってしまう。

昔からある(もう100年くらい前から製造されているらしい)石鹸。赤箱の他に青箱もある。
僕はこの石鹸がお気に入りなんですよね。あんまり余計なことしてなさそうで、
パッケージもなかなか味があるし、知らなかったのですが、ベルマークまで付いてる。
ベルマークは僕が小学生の時始まったんだよね。

話は横道にそれて申し訳ないのですが、大学4年から社会人になりたての頃
僕は東京の港区南青山7丁目(表参道の直ぐ近く)のちょっと面白いアパートに住んでました。

3階建てのそのアパートは1階に洋装屋さんと「ブリキのおもちゃ」なんかを扱う骨董屋さん。
2階に部屋が4つあり、3階は増築した「へんてこりんな部屋」が1つあって、それ以外は
洗濯物を干す屋上みたいになってて、誰でも自由に出入りでき、よくそこで僕も含め入居者が
「サンオイル塗りまくって身体焼いてました」
昔、ショーケン(萩原健一)と水谷豊主演のTVドラマ「傷だらけの天使」の舞台みたいな建物でした。
そんなドラマみんな知らないか。。。

このアパート、かなり古い鉄筋コンクリートの建物でその風情が気に入って
入居の申し込みをしたのですが、他の方に決まった後でした。う~ん残念と思っていたのですが、
大家さんが「長崎出身の人だったら会ってみたい」と連絡があり、お話してみると家主のお父さんが
長崎の出身で、私の母校「海星高校」の校長先生をなさってたそうで、何か縁があるというか
それならばと、決まっていた方をお断りになり僕が住めるよう配慮してくださったのです。

当然、部屋にはお風呂がありませんでした。一番近い銭湯は青山通りを渡り、
紀伊国屋という超高級スーパーを横切った裏手にあり、洗い桶にシャンプーと牛乳石鹸とタオルを入れて
青山通りをウロウロしてました。今考えればそんな場所に銭湯があったのもすごいけど、
桶片手に風呂上りボサボサの髪の毛であの通りを闊歩していたのもちょっと恥ずかしい。

そんな訳で牛乳石鹸は小さい頃からの愛着や思い出もあり、コンビニで1個100円で売ってるし
なかなか重宝してるんですが、この製造元大阪市城東区今福にあるんですよね。
一度会社見に行ってみようかなあ。。。そんな暇ないか!



2011年8月7日日曜日

サ・マーシュ








「海に背を向ける家」の奥様が先日打合せの際、
奥様お気に入りということで、お持ちくださった「サ・マーシュ」のパン。

とても美味しくて、スタッフとちょっとだけつまんでたら
止まらなくなって結局全部食べてしまった!
そして食べてしまってから「あっ写真撮ってない!」ということに気づいた。

まあ神戸は週に何回か行ってるし、美味しいから近々買いにいけばいいかと思ったのだが、
タイミングが悪くなかなか行けない。

先週やっと時間が取れて買いに行ったら定休日でした!!
それで今日こそはと、土曜日お客様とのショールームでの打合せの後伺いました。
場所は山手幹線の一本北筋、通称パールストリート沿い。すぐ傍に神戸 ムスリムモスクがあります。
「サ・マーシュ」は「ブランジェリー・コム・シノワ」の西川功晃シェフが独立され、
昨年秋にオープンされたお店。神戸の3つ星スパニッシュレストラン「カ・セント」にも
パンを供給されているそうです。

普通のパン屋さんだと、ショーウインドウ越しにパンがズラッと並んでて、
それをお客さんが勝手にトレイに取ってというスタイルだけどここは違います!
写真のように道からはお店が見えません。門をくぐって奥へ奥へ入っていって
扉を開けて初めてパンが並んでいます。


この扉の向こうに「サ・マーシュ」の世界があります。

でもトレイが用意されているわけではなく、パン棚の手前に一本の手摺りがあり、
そのバー越しにスタッフの方に欲しいパンの内容やカットサイズなどを告げ、
用意してもらったあと、レジに並んで支払いを済ませパンを受け取るというやり方です。
ヨーロッパのお店みたいな感覚ですね。
「メツゲライ クスダ」のハムや弓削牧場のチーズなんかも販売してます。



結局何だかんだ言いながらたくさん買ってしまいました。事務所今日は誰もいないのに。。。
パンの種類は左端が プロバンス風ハーブパン
(これEchileのバターとかオリーブオイルにつけるとより美味!だと思う)
細長いのは シラスのグリッシー二
(冷やしたカヴァとかスプマンテに絶対合う!)
上から下に プリミティブ イタリアーノ (ちょっとフォカッチャ風)
パンコンプレ アプリコ (刻んだアプリコットが入ってます)
野菜のガレット (粒コーンが入ってます)
オリーブミストオランジェ (グリーンオリーブとオレンジピールが入ってます)
最後に右端は クルミ、レーズンペイザンヌ 

名前よく覚えてたね?覚えられるわけがない!
「オジサンは名前覚えられないのでメモします」と言ったら、レジにズラッと並んだお客様を承知の上で
一つ一つの袋に名前を書いてくださいました。有難かったデス。
そしてお安い!です。また一つ美味しい店を教えていただきました。

神戸ムスリムモスクです。お店の斜め前です。


で、パンはといえば昨夜4コ、今朝2コ、今夜食べるプリミティブイタリアーノで
完食の予定です!プリミティブというくらいだから素朴で何にでも合うパンなんでしょう。


Mさんの奥様、ありがとうございました。




2011年8月6日土曜日

原爆



今日は広島に原爆が投下された日、そして9日は長崎に投下された日です。

僕は長崎の出身です。

長崎で働いていた僕の叔父(母の兄)は原爆で亡くなりました。

その日、疎開先で祖父の実家がある諫早市に叔父は帰って来ませんでした。
翌日、長崎市に叔父を探しに入った祖父は放射能を浴びてしまいました。

亡骸は発見できたそうですが、胸に大きな穴が開いていたそうです。
被爆して白血病を発症した祖父はいつも被爆手帳を持ち歩いていました。
でも80歳近くまで生きてくれて僕をかわいがってくれました。

二十数キロ離れた諫早でも投下された原爆の音がしたと母は話していました。
母が疎開せず長崎に残っていたら僕はこの世にいなかったかもしれません。

僕が住んでいた場所は原爆中心地からさほど遠くない場所で、平和公園や
飴のように折れ曲がった鉄塔や崩れた浦上天主堂石像などが置かれた
原爆投下中心地の公園、そして人々が水を求めて倒れていった浦上川が
魚釣りなどの遊び場になっていました。

でも一度見学に訪れた原爆資料館だけはとても怖くて二度と行くことが出来ませんでした。
大人になった今でも見に行くのはつらいかもしれない。



小学校4年の担任だった「W先生」は本当に色の白い女の先生でした。
夏休み前、先生が急に学校に来られなくなって、どうしたのかなあと

みんなで話していたのですが、夏休みに先生に会いに行こうということになり
爆心に近い坂本町のお宅へ出かけました。
先生は寝ておられましたが、みんなが来るととても喜んで、
起き上がり相手をしてくれたことを覚えています。

しかし、夏休みを過ぎても先生は学校には来られませんでした。
その後白血病で亡くなられたと母から聞きました。

小学校も中学校も原爆を体験された先生方がたくさんおられ
身体にケロイドが残る先生、ガラスの破片が身体に残ってて、
定期的に病院で摘出しないといけない先生、防空壕に入ってて
奇跡的に助かった先生(今でもずっと交流を続けています)
みなさん何かある度に原爆の恐ろしさを話されました。


この時期になると毎年自分の原風景的な事を思い出します。

でもそのむごたらしい傷や体験談は記憶されていますが、
それ以上に公園に咲くサルビアの赤い花や夾竹桃、強い日差し、クワガタ取り、
クマゼミの鳴き声などばかりが心に残っていて、それは多分、戦争が終わって
廃墟から復興し少年時代を過ごした平和な長崎の街そのものの印象なんだと思います。

今回の地震、津波、原発事故も子供達にはなんとか心の傷として残らないで欲しいと思います。
記憶として脳に刻まれるかもしれませんが、出来ればこれから先、楽しいことをたくさん経験して
そのことを思い出すようにして欲しいと思います。






2011年8月4日木曜日

真面目に仕事




昨日は8月8日に中間検査がある「三世代家族の家」へ検査前のチェックに伺った。

神戸電鉄「五社」駅を降りると、色々な種類の蝉の鳴き声に迎えられる。
クマゼミのけたたましい鳴き声はせず、アブラゼミ、ツクツクボウシに混じって
関西では珍しいミンミンゼミの声が道すがら僕を追いかけてくる。

現場では金物の固定作業が進められていたが、工程は順調のようだ。
大工さん、設備屋さんと打合せを済ませ、仕事の手を止めないよう
遠巻きに建物を見ていた。

写真は南側の遠景。2階軒下までドーンと壁が立ち上げっているように見えるが
実は手前に平屋の建物があり、その上は見晴いのいいバルコニーが載る。

帰り道、栗坊主を見つけた。
夏本番というのに季節は少し早回りをしているのだろうか。
来る時は聞こえなかった「カナカナ」があちらこちらで鳴いている。


健康のためにどこへ行くにも公共交通機関と自分の足を利用しているのだが
体中から汗を噴出し、衣服がベトベトになってもあまり苦にならなくなったし、
歩くスピードも格段に速くなった。健康になってきたのかな?

神戸の街を幾つか寄り道しながら、解体が始まった「海に背を向ける家」へ。

こちらはガレージと玄関、ホール、ホームエレベーター、階段など
地下1階に相当する部分をRCで作り、2、3階を木造で作ります。

まずは既存の基礎、ガレージを撤去です。お盆まで撤去作業です。

夕刻になる頃、さすがに汗をかきすぎて身体が塩分を欲しがっているのがわかります。
そんな時何をすべきか?僕の身体はある食べ物を要求します。
それは「ラーメン」です。とんこつとかではなくシンプルな醤油ラーメン!

よくよく考えてみたら、朝食以降今の時間まで何も口にしていなかった。
お腹も空いていたのでしょう。
梅田に到着したあと、思わずラーメン屋さんに駆け込んでしまいました。
体が欲している食べ物をタイムリーに摂ってあげるのが、健康には一番いいようです。






2011年8月2日火曜日

楽園




今年は蝉の羽化が少なかった。

この事務所が出来て2年目くらいに庭に芝生を食べる蛾の幼虫が発生したため
迂闊に薬品で駆除したせいか、蝉の幼虫も巻き添えをくったのかもしれない。

そのクマゼミたちも交尾を終え、産卵が始まっている。
庭の木の枯れ枝に卵管を差込み、次々と卵を産み付ける。

今日、仕事の合い間にナナミノ木を見たら数匹の雌が産卵していた。
写真のクマゼミの後ろにトゲトゲの「ささくれ」があるのがお判りでしょうか?
産み付けては前へ一歩ずつ進んでいる。

時々電線や光ケーブルに間違って産み付けてしまいトラブルを起こすこともあるそうだ。

この小さな庭にも食物連鎖や自然の営みがあり、
命をつなぎ止めるための昆虫や鳥達の葛藤を垣間見る時がある。
必死で生きること、命の大切さをこの小さな空間で事ある度に教えられる。

ここ、梅田の真ん中に自然にまかせた小動物たちの安楽の棲家を作ることが
出来たらと思うときもある。
大好きな画家「熊谷守一」さんの自邸の庭のようにはいかないだろうけど
ここに小さな宇宙を作ってみたい。

そうすれば幾つになっても、少年のような澄んだ瞳を持つ大人になることが出来るのだろうか。