2013年4月29日月曜日

眠くなるのは歳のせい?



詳細図面が予想外に手間取り気持ちは焦る。
いや、相当焦ってる。

遊んでいる訳でもないのに、スピードが上がらない。
数年前と比べるとやはりパワーが数段落ちているということなんだろう。

歳のせいにしたくはないが、集中力が持続できないのはというのは間違いない。

先日あるクライアントの女性社長と会食をしている時、その「集中力」の話になった。
僕が「お昼ご飯を食べ終わると毎日、急に睡魔が襲ってくるようになった。
別段睡眠不足ではないと思うけれどと。。。デザインを考える時、どうしても
イメージを思い浮かべる為、目を閉じて瞑想してると知らぬ間に寝てるんだよね。
スタッフも何も言わないけれど多分気がついていると思う。」というと

「山口さん、実は私もなのよ、本当に眠くなるのよねえ。会社で寝るわけにもいかず
困った。。。。」と

彼女曰く「それは体力が無くなっているのよ。知らぬ間に身体は衰えているからね。
運動しないとね。ただの老人になってしまうよ!」。。。。

言われてみれば確かに運動していない!
渓流のフライフィッシングが趣味だったのにここ数年なかなか行けるチャンスがない。
仕事のオン・オフの切り替えが全然出来なくて、惰性のまま日々を過ごしているよなあ。
だから集中力も欠落していくのかなあ。

昨日、必死で図面を描いている最中、「記憶の家」のYさんからメールが届いた。
新しい住まいに住み始めて1年しか経っていないのに、関東へ転勤の辞令が。。。
お子様もまだ小さいのでご家族で移動されることになった。














転勤のお話は以前からお聞きしていたのだが、昨日が引越しで荷物を運び終わったあと
「記憶の家」の現況写真を送ってくださった。
庭の植栽は住まいができた後、ご自分達で樹木や下草を増やされたが、
土に馴染み根付いて勢いよく成長しているのがわかる。


















お留守の間は近所に住んでおられる弟さんご夫妻が、管理をなさって下さるそうだが
もうちょっと住んでいただきたかったなあ。

そうかと思えば、クライアントの中で若い代表の名古屋「抱きしめられる家」Oさん、
そして新宮市「碇を下ろしたフロートハウス」Mさんのお住まいは施工中です。
Mさんは基礎工事中ですが、名古屋のOさんの現場は内部造作工事中。
スタッフが日々チェックしてるのですが僕が見に行く時間が取れなくて
やっと先週末、現場で仕上の打合せに出かけてきました。














リビングからキッチンを見た写真です。
リビングは光を回遊させるため、あえて大きな開口部を設けてません。


















ご主人が何か企んでそうですが、こちらは奥様の専用スペース。
休日の昼下がり、ヨガやのんびりとお茶が出来る場所です。


















このスペースは可変式の扉が取り付けられるんですが、
クローズしてデッキに「ゴロン」となれば青空だけが目に飛び込んできます。
奥様が独り占めです。。。
そのデッキの下はインナーガレージとご主人の遊び部屋になってます。
住まいが完成したあと、納車されるであろうイタリアンレッドのアルファを
眺めながら自分の時間を過ごす。。。。男冥利に尽きますね!

眺めるといえば諸事情で着工が遅れていた芦屋市の「眺めを楽しむ家」も
先日工務店と工事請負契約を締結し、5月連休明けから既存建屋の
解体工事が始まります。ちょっとホッとしましたね「Tさん」!!

2013年4月20日土曜日

実施設計図



スタジオではいくつかのプロジェクトが平行して進んでいるのですが
自然環境の影響を強く受けやすい和歌山県新宮市の「碇を下ろしたフロートハウス」と
「ゆらぎの情景」の2邸は詳細な検討事項がたくさんあります。

特に「ゆらぎの情景」は新宮市でも太平洋を望む高台にあるので、
台風時の雨風や夏の強い日差しをまともに受けてしまいます。














水盤や芝生の中庭を囲うように床レベルが1段下がった「歩廊」を作ってあります。
この歩廊は日常は大開口部でリビングダイニングなどと一体化して、
風の通り道となるのですが、夏、冬、温暖の差が激しい時は外部と内部の緩衝地となり、
ヒトが生活する上での急激な温度変化などを和らげ「ストレスレス」の役割をします。














庇を長めに設定しているので中庭の部分は狭く見えるかもしれませんが
都会で作るコートハウスの中庭レベルよりはるかに広いです。

リビングダイニングキッチンなどの主要な生活空間は平屋になるのですが、
単純に大屋根を載せるのではなく、軒が何層にも重なって陰影や美しいディテールを
描くようにデザインしています。
ただしここは台風銀座、雨は上からではなく下から降ってくると言われるくらい
環境の厳しい地域です。

現在、実施設計の佳境ですが、この雨、風に対する防護策をどうしたらよいのか
詳細な納まりを検討しながら図面を描いていますがこれが結構大変です。


暴風雨の凄さは私も九州生まれで、ある程度理解しているつもりですが、
ここはそれ以上!過去に何度か低気圧が熊野灘を通るたび、
特急「くろしお」があまりの風雨の激しさに途中駅で運休という災難にも何度か遭遇してます。


















敷地内にある大きなフェニックス。
この樹木と太平洋を望むことがこの土地を購入されたきっかけとか。
どこか南の島のリゾートにありそうな素敵な住まいが出来そうです。

あともう少しですが、気合を入れて今日も作図作業です。


2013年4月17日水曜日

旬を食べる!



週末、忙しくてなかなか会えなかった友人達と旬を食べに行きました。
皆さんとても楽しみにされていたようです。

この季節の旬といえば、琵琶湖の稚鮎、明石の桜鯛、京都長岡の筍等々。
一番栄養価のある食材を、一番美味しい方法で食するというのが私の一番の健康法!!
そして気の合う仲間とたわいも無い話で盛り上がる事。。。














ピチピチと暴れる琵琶湖の稚鮎。
もう少しすると各地の河川に放流されます。
その鮎を生きたまま油に泳がせ、
能勢の山で摘んで来て頂いたヨモギのてんぷらと一緒にいただきます。
ほろ苦い稚鮎と香ばしいヨモギの葉が食欲を増進させます。















大阪湾のとり貝。小粒ですがこの時期の泉南のとり貝は非常に美味しいです。
舞鶴産が出回る前のお楽しみというところでしょうか。
桜鯛と一緒に頂きます。




























皮のまま炭火で焼いていた京都長岡京産の筍。
熱々をそのままで。。
根元のところは本当に甘くて美味です。










































つけ焼きにした明石のあいなめも香ばしく、
20センチ以上あった車海老の頭もいい味です。














海老は軽く炭火で炙り海老味噌と雲丹が入ったアオサの出汁に
くぐらせて頂きます。木の芽とアオサの風味が堪りません。

そして〆のご飯は「筍ごはん」ですが、ちょっと趣向を凝らします。
炊き上がった「筍ごはん」に桜鯛の切り身を並べていきます。










































土鍋の御飯が見えなくなるまで桜鯛を敷き詰め暫く蓋をして蒸らします。














最後に木の芽を散らし、一気にかき混ぜ頂きます。
何とも贅沢な、そして心も身体も満ち足りた気持ちにさせてくれる一品でした。

明日からまた元気に仕事が出来ます。ありがとうございます。

いつも何か新しい、趣向を凝らした食事を提供して下さる西天満「松弥」の中井さん。
皆さんにご紹介したいのですが、予約がまったく取れません。
多分1年待っても予約できないかも知れません。
なにせ席数が最大6席しかないので、毎日ほぼ貸切状態なんです。

2013年4月15日月曜日

「碇を下ろしたフロートハウス」地鎮祭



凛として晴れ渡った気持ちの良い日、
新宮市の「碇を下ろしたフロートハウス」が地鎮祭を迎えました。










































前夜、数ヶ月振りにMさんご夫妻と3人で食事を楽しみましたが
色んな話に盛り上がり、気がついたらもう少しで日付けが変わるところでした。
Mさんすごい量のお酒飲んでたね。
しかし、お住まいの打合せ、お任せい頂いてほとんど打合せしなかったね。
いつも美味しいもの食べて、飲んでいろんな話してお終い!
気がついたらもう地鎮祭を迎えてしまった。。。。
日々眺めている模型はもうボロボロになっているそうですが、
これからは本物を毎日眺められるものね。

いよいよ設計監理の本番ですが監理担当スタッフ K君が
イメージ通りのお住まいを完成させるため図面片手に待ち構えてますよ。
まだ30歳そこそこの若い二人が、これから必死で頑張ろうとしているのだから、
応援しないわけにはいきません!


それにしても地元で獲れた魚やサザエのつぼ焼きも美味しかった。
自分のお店のお肉を焼いて出してもらいましたが
とても柔らかくて美味しかった。
新宮は人口の割りにこんなお店が多いです。
みんな外食するの好きなのかな?
新宮へ来ると、Mさんご夫妻、それから「ゆらぎの情景」Uさんご家族に
いつもご馳走になってる。。。。
気を遣っていただいて申し訳ございません。。本当に!














































地鎮祭のあと、ずっと行けなかった牛舎を見学させて頂きました。
1年目の子牛と2年目のまるまると太った牛達が迎えてくれましたが
みんな牝だそうでとても大人しくて、かわいらしくて愛情を込めて
世話されているのがよくわかります。
空気も美味しいし、環境もよいのでストレスが溜まらないのではないでしょうか。

牛舎見に行ってて、よくこんなステーキの写真出せるなあと
思われるかもしれませんが、美味しく食べてあげることが一番大事なことです。

2013年4月13日土曜日

タイムトリップ



「故郷は遠くにありて思うもの」とはよくいったものだ。
離れて暮らす時間が長ければ長いほど、望郷の念は強くなる。
長崎を離れて42年という歳月が知らぬ間に流れていた。

今回、時間的な余裕があって少しだけあの頃に戻ってみようとした。
今ある街はその当時と違うところもたくさんある。
けれど匂いというか身体を撫でていく風や光はちっとも変わらなかった。

今にして思えば長崎人であったことに深く感謝している。

回り道をしながらも建築設計という職業にたどり着いた自分は間違ってなかった。
中学、高校時代、スケッチブックやイーゼルを肩に油絵のモチーフを探して歩き回った街並。
あの頃の独特の風景は知らず知らずに建築のディテールや色彩感覚を身につけさせてくれた。
東山手の洋館群や大浦の旧領事館跡、教会など子供にとっても刺激的な場所だった。
それこそ鎖国時代唯一海外に門を開いていた「出島」のように、
長崎の街は僕の建築の扉を開けてくれた「出島」だと思う。
そして40年ほど過ぎ、建築を通して自分が本物のポルトガルやオランダを
訪ねる旅を繰り返すことになるとは。。。
それらの国を訪ねるたびに僕は日本から来たとは言わず
「NAGASAKI」から来たと言っていた。









































































































長崎県立美術館を設計した隈研吾氏が、数年前幼い頃よく遊んだ稲佐山の中腹に
「ガーデンテラス長崎ホテル&リゾート」というホテルを作った。

久しぶりの身内の家に帰るという行為を取り止め、彼の設計したホテルに宿泊してみた。
故郷という場所ではなく、建築や気候、風景を見学する場所として長崎を見つめなおしたいと
思ったからだ。










































なんだか香港にいるような錯覚を覚えた。
どこか混沌とした色々な文化が交じり合った街の中にいるのではなく、
少し距離を置いた自分が夜のプールサイドの向こうに広がる風景を、
異邦人として眺めてるような気分。
長崎弁がスラスラと出て来ず、頭の中で一度翻訳してしゃべっているような
そんなもどかしさを感じた。


部屋に戻るとある雑誌が置かれていた。
「楽・らく」という季刊誌で観光案内にはあまり出てこないような
長崎の事が書いてあった。こんな本を待ち望んでいたんだ。
大阪に戻り、早速創刊号から発刊されたすべての号を
取り寄せた。
ぽっかりと空いた過ぎ去った時間を少しでも埋めるため
今夜はこの雑誌を眺めてみよう。














2013年4月7日日曜日

長崎のいくつかの事(3)



長崎と言えば「カステラ」、その中でも福砂屋と文明堂が特に有名ですが
この街のお菓子屋さんだったら、洋菓子店でも和菓子店でもみんな
お店で作ってます。カステラは和、洋、どちらに入るんだろう?
小さい頃はこのカステラの耳の部分がオヤツ代わりでした。














写真は福砂屋本店、ここの「五三焼き」カステラは本当に美味しい!

懐かしい味を求めてお店の横を東山手の丘へ向かって歩き出す。
石畳の階段を少し歩くと大徳寺という場所にたどり着く。
高校生の頃、おなかを空かした僕たちはよくここへ「梅が枝焼き餅」を買いに来た。
学校では下校途中に買い食い禁止だったから、お店の裏の見えないところで
よくパクついた。
























































その当時からずっとこの餅を作ってるおばあちゃんと懐かしく話をした。
あの頃とまったく同じ。注文してから餅をこね、こし餡を入れ
この焼器に入れて一気に焼きます。
当時はおなかを空かした学生だから、あっという間に食べたけど
今見たら結構大きい!4個からの注文だったので2~3人で頼んでた。

おばあちゃんから「あの頃、海星の学生さんはよう買いに来とったもんね、
今でも美輪明宏さんは長崎に来た時はよう買いに来なっとよ。あの衣装のままでさ。」
そうそう、美輪さんは海星の先輩。。。。です。
美輪先輩が買いに来る気持ちよくわかります。

このお店の横では秋の「おくんち」の出し物「龍踊り」(じゃおどり)の練習場所に
なってるようで保管してある倉庫には2匹の龍が収めてあった。














この辺りは江戸末期から唐人町と呼ばれたところで
多くの中国人が住んでいた。
今でも当時の建物がいくつか残っているが
長崎は和、華(中国)、蘭(オランダやポルトガル)と
色々な国の文化や風習が混ざり合って独特の街並みを形成している。




































神社の横に中国寺があったり、教会があったりするけど
なんの違和感もないです。それが長崎だから。。。
寺の鐘と教会の鐘が同時に鳴って、それに船の汽笛が鳴ったりします。

久しぶりに石畳の階段を息を切らして上がりきったところにありました
母校が。。。。














明治の頃に建てられた校舎は老朽化のため取り壊されてしまったが
同じデザインで最近建替えられました。
でも赤レンガ塀は当時のままで懐かしい。。。
パリのコルビジェの事務所で働いていた「早稲田大学の吉阪隆正先生」が
日本に戻ってきて初めて本格的な建物を設計した校舎もあって
それを見学したかったのだが、首尾よく門が開いていたので中へ入ってみた。

最近、男女共学になって女子サッカー部がグランドで練習していた。
先生らしき方がいらっしゃったので声を掛けた。
「すいません、卒業生なんですが、建物見せて下さい!」
「何年の卒業ですか?」 「昭和46年です。」
「私も46年です!」えっ、よく見ると同級生のYO君になんだか似てる。。。
「ひょっとしてYO君?僕、山口だけど。。。」「是彦ね?」

なんとまあ42年振りの再会!! 彼は神父になるため海星志願院という
修道院に入って勉強してた。そして上智大学の神学部へ進学した。

僕みたいなナンパな学生ではなく、しっかりとした目標を持って勉強していた。
当時から学校には神父様で教師をされていた方がたくさんいらっしゃったので
その道を選んだんだろうか。。。

その日は約束の時間が迫ってるとのことで、あらためてゆっくりと会うことと
校舎を見学させてもらうことを約束して、別れることにしたが少しだけ見せてもらった。






















































当時はこの穿たれた硝子の部分がステンドグラスになっていて
教室の窓には木製の「ブリーズソレイユ」などもありとても美しく、
マルセイユの「ユニテダビタシオン」の雰囲気がありました。

2013年4月4日木曜日

長崎のいくつかの事(2)



お墓参り途中の外海町(そとめちょう)辺りまで来ると、
左手に断崖絶壁が続き、その山肌に這いつくばる様に
カソリック教会の十字架が見え隠れする。

それはレンガを積み上げたものや、漆喰で仕上たものなど様々だ。

この辺りは隠れキリシタンの里で、今でも多くの信者が暮らしている。
学生時代に読んで感銘を受けた、遠藤周作氏の名作「沈黙」の舞台になっている場所だ。

いつも立ち寄ろうと思うのだが、何故か通り過ぎていくことが今まで多かった。

僕が中学生の頃、道はまだ整備されておらず道幅は狭く曲がりくねって、
車同士がすれ違うのやっとだった。乗り合いバスの窓から下を見ると、
東シナ海の波が砕け散る岩場がはるか下に見えた。とても怖かった。
いつも一刻も早くこの場所を逃れたいと思ってたからか、
道路も拡張整備され、展望台なども出来たこの頃でも
癖なのかさっさと通り過ぎる事が多かった。














長崎の教会群がユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストに
追加記載された事を知り、あらためて教会群をちょっと訪ねてみたくなった。

角力灘(すもうなだ)に面した大野という場所が、当時一番スリリングな場所だった。
その大野バス停あたりから山間に斜面を登るとフランス人のド・ロ神父と
村民達が力を合わせて作った「大野教会」が見えてくる。
































ド・ロ神父はフランス・ノルマンディ地方の貴族出身だそうが、
私財を投げ打ってこの外海の人々にあらゆることを教え指導した。
ド・ロ神父については知って頂きたい事がたくさんあるため
また別の機会に書きたいと思うが、この「大野教会」はとても素朴だが
とても美しい。
美しいというのは「姿かたち」だけではない、人々の苦労と神に仕えるという
喜びの跡が一つ一つ丁寧に詰まれたド・ロ壁と言われる石の壁に見てとれる。

































1893年献堂 
どこかヨーロッパの田舎にあってもおかしくない建物だ。
スペインとかスイスとか。。。。
ヨーロッパとか日本とかそんなことはどうでもいいと感じさせる
素朴で存在感のある、自然と調和のとれた美しいい建物。














無性にこの建物をテーマにして油絵を描いてみたくなった。
ド・ロ壁の質素さが、主張を抑えた日本的な建築と相通ずる部分があり、
ミニマムでとても心に響いてきます。


















巡回教会のため神父様は常駐していないが
ミサ以外では秋に一度だけ玄関の扉が開くそうだ。

なんとなくだけど、ポルトガル・マルコカナベーシェスにある
シザの教会と相通ずるものがあるような気がします、